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【五島列島】潜伏キリシタン聖地巡礼の旅 ~2日目(20)~ 蕨港~牢屋の窄

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旧五輪教会・五輪教会の見学を終え、再び海上タクシーに乗り込む。

移動の手段がこれしかないという事は、しけになったらどこにもいけないし、
誰も来てくれないのね・・・と現実問題をつい考えてしまった。
島には島の問題がある。
ただ綺麗だから住みたい~などとお気軽に言ってる場合ではないのよね(^^;

空は相変わらずの曇り空。今日はたねママの晴れ女パワーもあまり効かないようだ。
船に乗るときにこそそのパワーだして欲しいのだが(-。-;)
しけたら大変ですわ・・・。

蕨港に到着し、地上の(笑)タクシーを待った。
多少してける割りには海上タクシーのドライバーさんの腕がよかったらしく、
予定よりもかなり早く着いてしまったらしい。

オバサマ軍団のひとりが携帯で然るべき場所に電話をし、
早めに港に着いてしまったので、なるはやで迎えに来て欲しい旨を伝える。
ああ、もし今が携帯電話が開発されてない時代だったらどうしてたんだろう・・・。
ぼーっと海を眺めて待ってたのかな?まぁそれもいっか。

・・・というか、この時も結局待たされてしまいました(^^;
旅ってこんなもんよね~・・・

しばらく海を眺めたり、釣り人に声をかけたりしながら待っていると、
やっとお迎えのバスが来た。
わさわさと乗り込み、やっと出発。道はすぐ山道となり、車は急な坂道を登っていく。
しばらくすると、何気ない道路に途中で止まった。

着きましたよ

????
道路脇の土手のあたりに眼をやると、
そこは五島の殉教の地として有名な「牢屋の窄」であった。

車を降りていきなり私達の目に飛び込んできたのは「殉教之地」の文字。

観光気分が一気に吹き飛んだ。
テーマパークでも観光地の作り物のイベントでもない。
紛れもなく悲惨な歴史の現場であった。

急な階段を上っていった先は整地されていて、小さなお堂といくつかの石碑があった。
何気ない石の碑であるが、そこに書かれた内容に心が動かない人はいないだろう。

 

<<石碑の内容の抜粋>>

「五島崩れ」と呼ばれる悲惨な弾圧の中でも、ここ『牢屋の窄』の殉教は
特に酷いものであり、五島崩れの発端となった場所ともいわれている。

畳12枚ほどの場所を二つに分け、男女別々に188人の信者が押し込まれた。
ぎゅうぎゅう詰めのため、足が地面に届かないほど。
子供が地面にずり落ちても拾い上げられず、トイレにいけないので
用便もそのままそこで・・・。
食事は朝晩に芋1つずつ。とうとう数日後には死者がでたが、
役人はその遺体を取り除こうともしなかった。
やがてそこには蛆虫がわき、13歳のドミニカたせは下腹を食い破られて亡くなった。

この牢屋に入れられて8か月、亡くなった信者39人、牢から出されてすぐに亡くなった信者3人、
他の信者は2年後に自由になった。

奥に入っていくと目についた十字架の石碑。よく見ると、その両側に小さな石碑が・・・。
実はここは、44名の殉教者の名前が刻まれた殉教記念碑。

この44名のうち、3分の1は13歳以下の子供であった。
私と同じクリスチャンネームの子(1歳か2歳)もいて、とてもやるせない気持ちになった。

ここで44人もの信者が神を信じて亡くなったのかと思うと本当に胸が痛い。
現代の宗教戦争はみな銃を手にテロリストと化してしまっているが、
こういう抵抗の仕方もあったのだな、と改めて思う。
神様はどのようにしてもらったら嬉しいのだろう・・・。

実は牢屋があった場所には現在、記念聖堂が建てられている。(この画像はその内部)
44名の殉教者たちのために祈りを捧げる場所だ。
絨毯が色分けされているが、実は牢屋の大きさを表している。
その上で祈りを捧げるとは、考えただけでなんとも切ない。

閉所恐怖症の私はここで同じことされたら、
きっと一番最初に頭がおかしくなって死ぬだろう・・・。

いろんな意味で色々と考えさせられる場所であった。

別に生々しい絵や銅像があったわけでもない。
ただ事実を伝えただけの石碑があっただけなのに、私達はかなり衝撃を受けていた。
そこに残る、重々しい空気感がたまらなく切なかった。

でも大丈夫、私達は忘れないから。

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